私的な感想をここに留め置きます。

皆さんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。


随分と久々のブログ更新となりますが、今回はいつもと趣向を変え、個人的な体験とそこで感じたものを、忘れないようにここに書き記して行きたいと思います。
余り読んでどなたかのお役に立つような記事内容にはなっておりませんので、ご興味無い方はUターンをお願い致します…。まあまあ長文です。





さて、ここのところブログの更新をサボって、一体何をしていたかと言いますと、妊娠、そして出産を経験しておりました。

出産はこの歳にして初めての体験だったのですが、とても印象に残る出来事だった!
まあ一言で言うと、楽しかったです。

そう言えるのは、無事に出産を終えることが出来たからだとは思いますが、振り返れば妊娠期間、そして出産に至るまで、とても幸せな期間でした。

今回はこの経験を忘れないように、普段は公的なものとして発信しているこのブログを私的利用して、出産の経緯をまとめておきたいと思います。
(なお、特に気も遣わず生々しい体験をそのまま書いてますので、そういうのが苦手な方もUターン推奨です…。あと、自分の為の文章なので用語の説明等も無く分かりにくいかもしれません…。)





私の妊娠経過ですが、概ね順調でした。

多少のマイナートラブルはあったものの、入院になるような異常もなく、胎児の発育に目立った異常もなく。

いろいろ考えて「近い」という理由では選ばなかった産院も、相性が良いと思える先生とも出会え、それなりに楽しく通えていました。


で、臨月。

初産と言うこともあり、検診の度それほどお産が近付いている様子も見えず、焦ることもなかったけれど、「いつになるのかなあ〜」と来るべき日に思いを巡らせつつ日々過ごしていました。

んで出産予定日も過ぎ、予定日を過ぎてからの最初の検診、
ま、41週になれば誘発分娩になり入院というのも知ってたし、この検診時に出産の兆候がなければやると言うのも知っていたので予定通りではあるんだけど、『卵膜剥離』を行いました!(通称「内診グリグリ」と呼ばれるらしいもの…。)

「痛いらしい!」と聞いていて覚悟はしていたものの、うーん、まあ痛いのは痛いけど耐えられないほどじゃない。
が、「どんだけすんの?!」ってくらい、なんか何周かはしたような気がする…。自分の目で見たわけじゃないからよく分からないけど。

そんで誘発分娩の場合の入院の日付も決まり、「それまでに陣痛来るといいね〜」って感じで検診を終え、そのまま帰宅。
出血は、ま、普通にあって、ちょっとなんかだるいなあ〜なんて思ってたら、いきなり来た。いわゆるその、「前駆陣痛」ってやつが。
(ちなみにその40週2日の検診日まで、前駆陣痛らしきものは一度もなかった)

「前駆陣痛」は経験したことはなかったけど、ん?これは怪しい?と感じるまあまあの痛み。ちなみにこの時は10分間隔が5回程度で終わった。


しかしここからが!私の出産の(苦しい・しんどいと言う意味での)クライマックス!

昼に前駆陣痛があってから、その夜に再び前駆陣痛らしきものが始まり、そこからエンドレス陣痛へ!

一応今でも陣痛カウンターの記録は残ってて、いつどのくらいの間隔で起こっていたか記録があるんだけど、見るだけでもしんどくなる数字の羅列…。


で、これはどうも私の陣痛の特徴みたいなんだけど、間隔が一定にならない。痛みも2種類くらいある。軽いのも強いのもある。
とりあえず最初は5分くらいだったり20分くらいに伸びたり、10分くらいに縮まったり、みたいな感じだった。
んで本陣痛と思われるあたりになると、3〜4分間隔が主だけど、たまに2分切ってきたり、たまに6分くらいに伸びたり。

このせいで「本陣痛は一定間隔になると思います」とか言われて何度も待機を言い渡されたが、私、出産するその時まで陣痛間隔不規則だったからな!ほんとほんとしんどかったからな!ちょっと反省して!

まあそんな感じで、一度病院に電話して待機を言い渡され、2度目は病院に行ったものの、「うーん、どうかなあ。微妙なところだけど陣痛遠のきそうな気がするから、一度家に帰ってみようか」と言い渡され、
そこから帰宅後さらに2回電話するも「もう少し待ってみて下さい」と言い渡され、『もう限界!次回は苦しい演技してでも絶対に病院に行く!』と決意した電話でやっと病院に行くことが出来た!

ここでも「本陣痛になるとそんな風に冷静にしゃべることはできないと思います」とか言われたが、冷静なのは私の性格だ(割にいつでも自分を客観視しているタイプだと思う)。
出産の数分前でも「あ、この機械落ちましたよ」って言って、周囲の助産師さんに「冷静やな」「冷静やな」って言われたくらい冷静だったし、大体出産数分前でも陣痛が不規則だから、痛みの無い時間はボケーっとしてたわ。ほんと、反省してもらいたい。2分前後の陣痛間隔で病院行くのほんとしんどかったわ。


…と、そんな感じで、40週2日の夜の前駆陣痛から始まり、どこから本陣痛になったかは分からないけど40週4日の夜に出産するまで、ノンストップで陣痛でした!

その間に胃に入れたのはバナナ1本とポカリスウェットだけだし、睡眠も数分ごとに来る陣痛の中では流石に無理だった!うとうとしては痛みで起こされる繰り返しでほぼ寝られていない、しかも電話しても電話しても入院させてもらえない!うーん、メンタルやられた!

寝室で「ヒエアアアアアアア」みたいな声を上げて苦しむ私に、別室にいた旦那が何度も「大丈夫か!」と駆け込んで来たが、来られたところでどうしようもない、病院側が来ちゃダメって言うんだもの、1人で耐えるしか無い、苦しい…。


「これは『(陣痛に耐えられないから)帝王切開にして下さい』って言う人の気持ち分かるなあ…」と徐々に心が弱って行った中、やっと!40週4日の昼前に『病院に来て下さい』との指示が!

家からまあまあ距離のある病院だったため、またこの道中がしんどかったんだけど(車の揺れが陣痛に繋がるんだよ!)でもひたすら家で悶え苦しんでいるのより事態が進む方が嬉しい!嬉しいなんて考えてる余裕その時はなかったけど…。
以前から作ってあった入院用の荷物を(旦那が)持ち、旦那の運転で病院へ。
陣痛タクシーは一応登録してたけど旦那居て良かったなあ…。あんな痛みの中自分で大量の荷物持ってタクシーなんて乗れないわ…(コロナのせいで入院中に荷物を持って来てもらうことも禁止されてて、入院時に全ての荷物を持って行かなきゃいけないのよ…)。


そんで、そこでお医者さんに見てもらってやっと、入院が決まった!
子宮口は3cmくらいだったのかな?でもなんか出血が多いから?なんか理由がよく分からないけど先生同士が話し合って「入院ですね」「入院だな」みたいになってた。

で、病室に案内されて入院したわけですが、ここからはなんか、あんましんどくなかった。
いや、痛みは増してると思うし出産直前には流石に陣痛間隔もまあまあ短かったとは思うんだけど、心の余裕?
何かあってもいつでも誰かに駆け付けてもらえる安心感、痛いと言えばテニスボールも持ってきてもらえ、「(ボールを)もっと上に押し付けて下さいいいいいい!!」と叫べば優しく対応してくれ、呼吸もリードしてもらえる素晴らしさ。

至れり尽くせりで、1人で自宅で陣痛耐えてた時の方がほんとよっぽどしんどかった。終わりの見えない痛みと孤独に戦うと言うのが。


そんでここからどのようになったかと言うと、まずコロナ下の出産なので、入院直後に抗原検査。鼻になんか突っ込んで検査するやつ。
これで陰性の結果が出るまで部屋でゴロゴロ過ごし(この間に夫とビデオ通話など繋ぐ)、そして助産師さんに体温測定してもらったんだが、これがなんか私発熱してるとのこと。
(ちなみにテンションおかしくなってるのか、私本人にはだるい・しんどいとか言う自覚は一切無し。陣痛がそもそもしんどいし…。)

そんで血液検査が行われ、「子宮内感染」の疑いがあるとして「本日中に赤ちゃんを出そう」と言う方針へ。血管確保して、万が一お産の進みが悪い場合は帝王切開に切り替えます、と言う説明を受け、しばらく待機。
この頃から私、(病院に入院できいろんな人にサポートを受けて)やっと安心したのかお腹が空いてきて、丸2日ほどほとんど食べてないものだから「お腹が空きました…」とか言ってたんだが、帝王切開の可能性もあると言うことで水すら飲めず…。「お産って体力いるんちゃうんかい、こんな寝ても食べてもなくて大丈夫なんか」と思いつつ、言われた通り待機。


…してたら!いきなりの破水!

「破水ってどんなのだろうなあ、チョロチョロだったら気付くかなあ〜」とか思ってた私でも「あ、こりゃ破水だ」と気付くくらいには、「ブシャー!」と一気に股の間から生温かい液体が飛び出した!(なお、下着・服を貫通して病院のベッドまでビシャビシャ、そして羊水は、パッと見で素人の私でも分かる、胎便が混じっていると言われる緑色…。)

ナースコールで「破水しました!」と言うと、助産師さんたちがわらわらと現れて、車椅子に乗せられ分娩台へと移動。
そして、様々な機器を取り付けられたり、陣痛促進剤(オキシトシン)の投与も始まったのかな?ここらへんちょっと記憶が定かではないんだけど、なんかこう、いつでも出産できるぜ!みたいな体制が整えられました。


多くのお医者さんや助産師さん達は部屋に常に居た訳ではなかったんだけど、1人、新人の方らしき助産師さんがほぼ常に居てくれて、「テニスボールをお尻に押し付けてくださあいいいいい!!」的なお願いに随時応えてくれました。ありがとうございます。

あと、偶然その日のその時間帯には私しかお産をしている人が居らず、結果として沢山のスタッフさんに囲まれて「わあ!まるでテレビの中の出産シーンみたい!」と思いながらテンション上げて出産できたのは良かったなあと思います。

先生と呼ばれる産婦人科医だけで3人、助産師さんが4人くらいかな?NICUもあるそれなりの総合病院(地域周産期母子医療センター)なので、その時間帯私だけってのはラッキーだった気がします。


そんで、時間がいつかは分からないんだけど、しばらくいきみ逃しみたいなのをやってた気がするんですが、突然、「はいじゃあここからいきんでみようか」と指示が変わる。

(え?もう?早くね?子宮口全開大までって結構時間かかるんちゃうの?)と思いつつ、言われた通りいきもうとしてみる。が、初めは上手くいかない(まあ人生で初の出産だし、予習もあんましてないしそんなものか…)。

何をしたら赤ちゃんが産まれて、そのために今私に何ができるのかが今一分からず手間取る私。
そして、陣痛も弱め、赤ちゃんの心拍も余り宜しくないようで、陣痛促進剤の追加投与が決定。促進剤が体に行き渡るまで(?)しばらく放置される。


その後、「いきみたい!まだですか!まだいきんではダメなんですか!!」となって来て、どこかへ行っていた(夕食休憩かしら?)お医者様方、助産師さん達も再び集合。再度いきむ作業が始まる。(あと帝王切開に備えて弾性ストッキングを履かせてもらったりもしてた)

ま、あんまりいろいろな状況が良くなかったらしく(胎児心拍は私には分からないから良いとして、「母体衰弱のため帝王切開」とか言ってたが、実際に元気かはともかく私の心はとっても元気で、「え?衰弱って何?私めっちゃ元気だけど?」と思ってた。実際はご飯食べれてない寝れてない熱もある陣痛で苦しんでる等、全然元気じゃなかったかもしれないが…。)、
何度かいきんで出産チャレンジ?した後に、「次のいきみで出なかったら帝王切開に切り替えます!」と言われてしまった。
ガーン。…とも思わなかったが、「ああそうなのか〜経膣では産めなくなるのか〜」みたいな感情だったかな。
そんで「最後のいきみだ!」と頑張ったものの、赤ちゃんが出てくる様子は無し(実際に見ることはできないからどんな感じだったかは分からないけれど…)。

ここから帝王切開か〜、と思ってたんだけど、分娩台から移動する様子無し。ん?と思いつついきみ続行だったのでまあいいやといきみ続ける。後から得た情報も含めると、この時どうやら先生や助産師さんの間での話し合いで「経膣で産めそう」となったみたい。


さて、陣痛促進剤で陣痛の回数は増えたように思うんだけど、陣痛の質自体はそれほど良くなってるようには思えなかった。

この頃になると私もいきむことに慣れてきて、何をすればいいかいろいろ分かってきた。
まず、私は微弱陣痛かつ陣痛が不規則で、いきんでも赤ちゃんが出て来ない程度のしょぼい陣痛がちょくちょくある。
なのでそのターンはいきまずに耐える。これは助産師さんも指示してくれたけど、自分でも陣痛の強いやつ弱いやつが分かってきた。

そして後は、自分が「うーん!」といきむことも大切だけど、自分の中からの陣痛とタイミングを合わせる。調子を合わせる。力を利用していきむ。
これを自分の心の中で勝手に『陣痛の波に乗る』と表現してた。出産中に結構冷静だがまあだって、微弱陣痛だし、波が不規則だから来ないときは結構暇だし。陣痛来てない時は普通にボケーっとしてた。

なので分かってからは「あ、(陣痛が)弱いですねこれ」とか周りに言いつつ、結構楽しくやってたかもしれない。やり方分かってきてからは。

ちなみにスタッフさんは前述の通り沢山おり、股の方で赤ちゃんを誘導する人、閉じかけてしまう私の脚を抱え込む人など色々作業を分担されていたのだが、1人、私の乳首をひたすらつまみ続けている人がいて、『乳首を刺激すると子宮収縮が促される』=『出産に繋がる』のは分かってるとは言えシュールだったなあ。


さて、陣痛の波に乗って「うーん!!!」といきむのを何度か繰り返してたら、いきなり「胸に手を組んでフンフン(?)と息をして!!」みたいに言われて(ちょっと記憶が定かじゃない)、「??」と思いつつその通りにしたら「下を見て!」と言われて「??」と見たら「赤ちゃん見える?!出てきてるよ!」と言われて、なんか頭出てきたら一瞬で赤ちゃん産まれてました。ほんと一瞬。

なお、赤ちゃん出た瞬間、ビリッとお尻の方まで裂けたのは良く分かりました。いや、痛みとか無いから。会陰切開から色々やってるけどそこで痛みとか感じないから。もう繰り返す陣痛で感覚が麻痺してると思う。


そんで、赤ちゃんの産声は「フンギャア、フンギャア!」だった。「オンギャア」じゃあなくてうちの子は「フンギャア」。ま、その場で起こったことを自分ではまだ受け止め切れていなくて、感動とかよりも「あ、産声聞こえる、とりあえず無事に産まれたっぽいなあ」って感じだった。





さて、産んだ産院では元々夫の立ち会い出産を推奨はしていたんだけど、コロナ下の出産となりそうも行かず。
ただし、スマホなどを利用したオンライン立ち会いは、自分で用意する分には自由にやって良いとのことだったので、私のタブレットと夫のパソコンをSkypeで繋いで利用してみました。

速度制限かかるので動画はカクカクにはなっちゃうけど、陣痛が激しくないうちはなんとか通話もできたし(その後は私が「もう通話無理!」と放置)、その後は分娩の様子を夫に少しは分かってもらうことができた。

で、さらに、私の産んだ病院ではコロナ下でも産後1人だけ、産まれた赤ちゃんを抱きに来ることができました。

そしてさらに、私は緊急帝王切開の可能性が高かったので、手術の同意を得るために夫が分娩中に病院に呼ばれていました。
結果、下から産むことができた訳だけど、夫が病院に呼ばれていたおかげで夫も産声を聞くことができた。そしてその後も(しばらく待った後だけど)赤ちゃんを抱くことができて、結果、まあまあ夫の存在を感じながら出産をすることができたと思う。


出産の痛みに夫の存在が役に立つかと言うと全く役に立ちませんが、赤ちゃんが産まれた感動を分かち合えたのは良かったな。先生から直接分娩経過を聞いて、産声を聞いて、分娩したその部屋で赤ちゃんを抱けたら、ほぼ立ち会えたようなものです。たぶん。


その後、何も食べてなかった私は夫にコンビニでご飯を買ってきてもらい、分娩台の上で早期母子接触を行いながら助産師さん達と談笑。
その数時間後には母子同室で慣れない育児が始まり、前駆陣痛から続く睡眠不足は全く解消されないままハードな生活がスタートする訳ですが…。



なお、母子手帳に記載された分娩経過等はこのようになっております。


・頭位


・特記事項:微弱陣痛、胎児心拍異常、会陰切開縫合術、膣壁裂傷縫合術、頸管裂傷縫合術

裂けまくっとるやないかい。これ、後から考えたら一気に赤ちゃんが出て来過ぎちゃったからだよね…。


・分娩方法:促進分娩・吸引分娩

微弱陣痛だったけどなんとかギリギリ下から産んだ感じですな。


・分娩所要時間:10時間45分

これ、どこから本陣痛ですかね〜?と助産師さんと相談した結果。


・出血量:多量

多量と言っても正常に近いあたりなのでそこまで大した事はない。





さて、入院中も色々と心に残る出来事があったけど、
(何よりもコロナ下で人と会うことが制限されまくっている中、病院とは言え先生や助産師さんとお話出来るのはとても楽しかった!)

その中でも一番印象深かったのが、出産に立ち会ってくれた助産師さんに偶然会え、お話出来たこと!


その方は助産師さんの中でもリーダー的な存在だったようで、出産に立ち会ってくれた先生方とも対等に、お産の経過を確認しながら対処して下さってたんだけど、
偶然私の病室に食事を持って来て下さった際に、「出産に立ち会った者ですけど覚えてますか〜?」と声を掛けて下さった。

私は正直顔と名前は覚え切れてなかったんだけど、「出産中にどなたかが〇〇って声掛けをしてくれたのは印象に残っているんですけど」「それ私です〜!」みたいな感じで、『あっ、この人か!』と記憶が繋がった。

私からの印象だと、分娩中しっかり張りの強さなどを見てくれていて、的確な声掛けをしてくれているなあ〜って感じの方だったんだけど、お産をたくさん扱って来た助産師さんの視点での今回のお産の感想を聞けて、とても良かった。


(私はそこまでの事態とは理解していなかったが)『見ていられなかった』くらい胎児の心拍はとても弱くなっていたこと。小児科医の先生も控えていて、すぐに緊急対応が出来るように準備していたが、生まれてみるととても元気で、『小児科医の先生にごめんなさいと言ったくらい』拍子抜けしたこと。
陣痛もかなり弱く、この陣痛でよく産めたなと思うくらいだったこと。
自身は正常分娩であれば1人で扱えるくらいの経験はあり、先生は帝王切開の判断をしかけていたけど「行ける」と判断し、それを先生に進言し経膣分娩を続行したこと(これは出産後、その先生も「安易に帝王切開の判断をしかけましたが…」と謝って?くれてた)。回旋の向きは悪くなかったこと。

そして、弱い陣痛の中産めたことを褒めて?下さいました。
勿論私も「いえいえ皆様方がサポートして下さったおかげで…」と返したけれど、どんなにサポートしてもやはり出産する本人の力がなければどうにもならないとおっしゃって下さいまして。まあそこはそうかも。素直にありがとうございますと返すところですかね。

私も何だか話しやすかったので、後陣痛を感じないけど大丈夫なのかと尋ねたり、後は陣痛を波と捉えて波に乗るつもりで出産に臨んだこと、痛みにも意味があるのだなと思えたこと、


そして後、これは無事に産めたから言えることかもしれないけど、先生や助産師の皆さんに協力して頂いて、力を合わせる感じでお産に臨むのが、めっちゃ楽しかったと。伝えてみました。


そしたら、楽しかったと思えるのはとても良いことだって言って下さって、

そして最後に、『良いお産でした』って言って下さって。

これがなんかめっちゃ嬉しかったなあ。
その助産師さんが多くのお産を経験して来て、その上で「良いお産」と言って下さることがとても意味があるような気がして。

「お疲れ様でした」「よく頑張りました」みたいな様々な意味が込められた良い言葉だなあって。


病室で、その助産師さんと、このタイミングで会えて良かった、お話し出来て良かったと心から思いました。





さて、今回の妊娠から出産にかけての体験は、それは様々な不安も強烈な痛みもあったけれど、とても楽しかったです!

妊娠期間も(高齢ということもあるしコロナ下ということもあるし)不安だらけでしたが、振り返ってみるととても楽しかった!
そして、出産というイベントはその締め括りにふさわしい、とても素晴らしくて楽しいイベントだったなと感じました。


それを支えて下さった某病院には勿論心から感謝しています。

出産に立ち会って下さった、関西のおもろいおっちゃんという感じのH先生、クールビューティな感じのN先生、その他先生方助産師さん方本当にありがとうございました。

妊婦検診でよくお会いしてた助産師さんも明るくていつも元気付けられました(産後は会えなかったけど…)。
また主治医の某先生!とても話しやすく、診察も丁寧で的確で、忙しい中質問にも真摯に答えてくれて、妊娠中とても安心できました。出産に立ち会ってもらえなかったのは残念だったけど、入院中に少しだけお会いできて、お話し出来て良かった!


無痛分娩が増えて来ている時代だとは思いますが、私はもし次があるなら次も自然分娩で良いなと思いました。
それくらい素敵で素晴らしい体験だった!(あと痛みがどんなものかもう忘れました…)

本当に楽しかったです!ありがとうございました!!!